日本武尊(やまとたける)が、人々を苦しめていた熊襲武(くまそたける)を滅ぼしたときに、喜んだ村人達が、ありあわせの棕梠(しゅろ)皮を身に着けて、バラを叩いて転びまわり、酒宴で即興に踊ったことに由来するといわれています。
竹編みの「バラ」を用いるため「バラ踊」とも呼ばれ、木彫りの面に棕梠のかつら、手甲を付け、時折ユーモラスな「しぐさ」や乱舞を演じながらも、終始堂々と秩序を保ちながら踊ります。
※小学生で結成されています。
※参考:都城の民俗芸能(昭和56年3月31日発行)、都城市の文化財(平成26年7月22日発行)
伝承地
庄内町