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昭和4年頃、梅北大薗の原田氏を師匠とし、当時区域を一つにしていた玉利・横尾原地区とともに習得したのが始まりといわれています。 俵踊は、米俵を蔵に積み込む作業を舞踊化したもので、豊作に感謝するとともに、作神(さくがみ)を送り出すための踊りともいわれています。 ※参考:都城の民俗芸能(昭和56年3月31日発行)
大岩田町八反