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都城県の参事「桂久武(かつらひさたけ)」を紹介します

記事ID:0002234 更新日:2019年12月18日更新

都城県を治める三大方針の一つ「学業を奨励して人材を育成する」で、都城に学業振興・人材育成の大切さを示しました「桂久武」を紹介します。

桂久武の経歴

出生から幕末

天保元年(1830年)5月に鹿児島藩日置領主島津久風の第5子に生まれ、のちに桂久徴(ひさあきら)の養子になりました。
安政4年(1857年)詰衆(つめしゅう)として27歳で初めて出仕(しゅっし)。元治(げんじ)元年(1864年)11月には家老職・加判役で御用部屋詰、御勝手方掛(ごかってがかり)を務めて藩政の中枢を担いました。

桂久武

明治維新後

明治維新後は藩主忠義の望みによって、明治2年藩政改革のために参政職となり、明治3年4月には鹿児島県権大参事、ついで9月には大参事となり、西郷隆盛と共に藩政を掌握しました。
そして、明治4年11月に都城県の参事に任命されました。

晩年

都城県が廃止された後、豊岡県(京都府北西部と兵庫県北部地域)の権県令(ごんげんれい)の辞令を断り、現在の霧島市に移住して、官職には就きませんでした。
久武の能力を高く評価していた大久保利通は、政府の役人になるよう五代友厚(ごだいともあつ・鹿児島藩出身の明治期の実業家)に、あっせんを依頼したほどです。
その後、久武は、明治10年の西南戦争に西郷軍として参加し、城山陥落の9月24日に47歳で戦死しました。


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