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JR吉都線の歴史と駅を紹介します

記事ID:1380 更新日:2019年10月29日更新

JR吉都線の歴史と宮崎県から鹿児島県にかける17駅について紹介します。

JR吉都線の歴史(1913~)

明治22年に九州で初めて鉄道が開業した後、明治29年11月に人吉~吉松間が開通しました。

当時、鹿児島本線の駅であった吉松駅から分岐して、吉松~小林町(現在の小林市)間が宮崎線として大正元年に開通し、翌年の大正2年10月8日、現在の吉都線の区間である都城駅まで全長61.6キロが開通しました。

宮崎線はさらに宮崎、重岡方面へ延伸されて豊洲本線とつながり、日豊本線となりました。その後、昭和7年に都城~隼人間が開通し、小倉~都城~隼人~鹿児島が日豊本線、吉松~都城間が吉都線となりました。

昭和30年代は、C51形、C55形、昭和40年代になるとC55形、C57形、D51形が主力機関車として霧島山麓を疾走しました。

また、昭和40年代には吉都線を経由し、宮崎~熊本~博多まで急行「えびの号」・特急「おおよど号」も運行され、地域の交通手段や生活物資の輸送の大動脈として重要な役割を果たしてきました。

近年は、道路網の整備、マイカーの普及、沿線の過疎化による人口減により、かつての賑わいはなくなりました。しかし、現在でも鹿児島~宮崎両県を直結する幹線鉄道であり、韓国岳や高千穂峰など壮大な霧島連山を仰ぎ見ながら走る吉都線は、沿線地域にとって今もなお、愛され続け誇りに思う路線です。

JR吉都線の駅(宮崎県~鹿児島県にかけて17駅)

 ※駅名をクリックすると詳細情報が表示されます(すべてサイト外のページへリンク)





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