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山之口麓文弥節人形浄瑠璃(やまのくちふもとぶんやぶしにんぎょうじょうるり)
人形浄瑠璃とは、三味線と語り、人形操りが一体となって、物語を表現する人形芝居です。
山之口町麓地区に伝わる文弥節人形浄瑠璃は、延宝から元禄(1673年~1703年)の大阪道頓堀で演じられた「泣き節」「愁い節」とも呼ばれる哀愁ただよう独特の節回しが特徴です。
文政9(1826)年に書き写したとされる台本が残されていることから、山之口麓文弥節人形浄瑠璃が演じられていた年代が裏付けられます。以降、幾多の変遷を重ね、明治初期から大正末期に最盛期を迎えましたが、第二次世界大戦などで一端、途絶えました。その後、復興の動きが起こり、経験者と地域住民の努力により、保存会が結成され今に伝承しています。
全国でも4カ所(新潟県佐渡市、石川県白山市尾口地区、鹿児島県薩摩川内市東郷町、宮崎県都城市山之口町)にしか残っていない貴重なもので、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
現在では、6月、9月、11月に保存会による定期公演が、また、3月には麓小学校の5・6年生が子ども人形浄瑠璃を披露します。
※参考:山之口町の文化財(平成14年3月発行) 、都城市の文化財(平成26年7月22日発行)
伝承地
山之口町麓地区
上演場所
山之口麓文弥節人形浄瑠璃資料館(人形の館)
演目
出世景清(近松門左衛門作)
- 大仏殿普請の段(ちゅのたて)
- 偽文の段
- 拷問の段(水責め火責め)
- 牢舎の段ほか(ずやんば)
門出八嶋(近松門左衛門作)
- 出陣の段(うっがんめい)
- 屋島合戦の段(いくさんば)
- 弁慶の段切・提灯とぼし ほか
三番叟(さんばそう) 娘手踊り
間狂言(あいきょうげん)
- 太郎の御前迎(ごぜむけ)
- 東岳猪狩(ひがしだけのししがり)
- 大世間話(うぜけんばなし)
- 並木と茶屋元
- 馬泥棒弥右衛門