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ぼんちくんと歴史探検「五十市式縄文土器」

記事ID:1707 更新日:2020年5月1日更新

広報誌で連載中の「ぼんちくんと歴史探検」。ホームページではちょっとくわしく解説します。今回は「五十市式縄文土器」のお話です。

全形

いつ、どこで発見されたのかな

1962年(昭和37年)に、都城市今町で発見されました。発見された所が戦前の五十市村にあたるため、「五十市式縄文土器」と名付けられました。

なぜ、発見されたのかな?

県道都城・志布志線(今の国道269号線)の道路工事をしているときに、道路工事の人がみつけました。

発見

どのように、埋まっていたのかな?

口の部分を下にして、逆さに伏せたような形で埋まっていたと伝えられています。

どんな土器、なのかな

高さ25.3センチメートル、口径23.8センチメートル。バケツのような形をしています(写真:上段左・全形/右・中のようす)。全面に縄文がつけられているところがポイントです(写真:下段)。

全形 中文様

いつごろの土器なのかな

埋まっていた地層から、約8000年前、縄文時代早期の土器と考えられています。

「五十市式縄文土器」のここがスゴイ!!

このころの南九州の人々は、バケツのような形の土器に貝殻で模様をつけていました(写真:都城市岩立遺跡出土土器)。

「五十市式縄文土器」は南九州のバケツのような形ですが、全面に縄目の文様がつけられており、とてもめずらしい土器いえます。

この縄文はどこからやってきたのでしょうか?

南九州の外からもたらされたと考えられる縄目の文様からは、縄文人たちの交流のようすをみることができます。

岩立 岩立

どこで、みられるのかな

都城歴史資料館でみることができます。

資料館


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