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ぼんちくんと歴史探検「五十市式縄文土器」
広報誌で連載中の「ぼんちくんと歴史探検」。ホームページではちょっとくわしく解説します。今回は「五十市式縄文土器」のお話です。
いつ、どこで発見されたのかな
1962年(昭和37年)に、都城市今町で発見されました。発見された所が戦前の五十市村にあたるため、「五十市式縄文土器」と名付けられました。
なぜ、発見されたのかな?
県道都城・志布志線(今の国道269号線)の道路工事をしているときに、道路工事の人がみつけました。
どのように、埋まっていたのかな?
口の部分を下にして、逆さに伏せたような形で埋まっていたと伝えられています。
どんな土器、なのかな
高さ25.3センチメートル、口径23.8センチメートル。バケツのような形をしています(写真:上段左・全形/右・中のようす)。全面に縄文がつけられているところがポイントです(写真:下段)。
いつごろの土器なのかな
埋まっていた地層から、約8000年前、縄文時代早期の土器と考えられています。
「五十市式縄文土器」のここがスゴイ!!
このころの南九州の人々は、バケツのような形の土器に貝殻で模様をつけていました(写真:都城市岩立遺跡出土土器)。
「五十市式縄文土器」は南九州のバケツのような形ですが、全面に縄目の文様がつけられており、とてもめずらしい土器いえます。
この縄文はどこからやってきたのでしょうか?
南九州の外からもたらされたと考えられる縄目の文様からは、縄文人たちの交流のようすをみることができます。
どこで、みられるのかな
都城歴史資料館でみることができます。
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