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都城のかくれ念仏

記事ID:3757 更新日:2019年10月29日更新

慶長2年(1597)2月21日、島津義弘(しまづよしひろ)によって一向宗(浄土真宗)は禁止され、それ以来、薩摩藩はその信仰を禁止してきました。それは、他地域で一向宗の信者が、領主に対して反乱を起こしたことがあったからだと思われます。

しかし、この藩の禁止政策にもかかわらず、信者たちは、山の中や洞穴などにかくれて一向宗の信仰を続けていました。これは僧の布教活動もあったからです。安芸国(広島県)真徳寺の僧であった無涯(むがい)は、薩摩藩内で布教活動をしていましたが、そのことが藩の役人に知られてしまい、追い詰められて自害してしまいました。その墓(写真・上段左)は山田町の正定寺(しょうじょうじ)に残っています。

このように、藩からかくれて続けられた信仰は「かくれ念仏」と呼ばれ、隠れて祈ったと伝えられる洞穴「かくれ念仏洞」や信仰に関する資料が乙房町平田(写真・上段中)、山之口町安楽寺・田島(写真・上段右) 、山田町平山(写真・下段左)・大古川(写真・下段中) 、高城町有水田辺(写真・下段左) などに残されています。

※危険防止のため、洞内へは立ち入らないようにお願いします。

 

無涯の墓 平田のかくれ念仏洞 田島のかくれ念仏洞 平山のかくれ念仏洞 大古川のかくれ念仏洞 田辺のかくれ念仏洞

※「都城の歴史と人物(増補改訂版)」都城市教育委員会2012 より


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