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安永8年(1779)、桜島黒神付近の人々が噴火の被害を避けるため、藩の命令により都城へと移り住みました。中霧島に17戸、野々美谷に16戸が定住しましたが、台地上のため、わずかな畑に頼る貧しい生活を続けてきたと伝えられています。
この碑は、農業指導のため秋田から訪れた石川理紀之助(いしかわりきのすけ)の提案によって、明治35年(1902)8月15日に建てられました。最初に移り住んだ33人の名前が刻まれています。
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