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広報都城で連載中の「ぼんちくんと歴史探検」(平成29年6月号)。ホームページでは少し詳しく解説します。今回は早鈴町で発見された弥生時代の「ムラ」のお話です。
都城盆地の南部に広がる開析扇状地面の南の端にあります。すぐ南には萩原川の氾濫原面に作られた水田が広がっており、その向こうには萩原川が見えます。
大型商業施設をつくる時の発掘調査で発見されました。
約2000年前、弥生時代の遺跡です。
弥生時代のムラの跡です。17軒もの竪穴住居跡や多数の土坑(むかしの人が掘った穴)、たくさんの土器や石器が見つかりました。また、その北側にある宮田遺跡の発掘調査では、その頃の水田跡も見つかっています。
弥生時代のムラがほぼそのままの形で発見されたことです。そして、そのムラが大きな溝で囲まれていたことです。このような溝で囲まれたムラは「環濠集落(かんごうしゅうらく)」とよばれ、この時代の拠点的な集落と考えられています。また、宮田遺跡で見つかった水田跡をあわせると、弥生時代のムラとそのくらしを支えた水田が、どのように形作られていたのかがわかってきます。
このように「高田遺跡」は弥生時代の都城盆地のようすを知ることができる重要な遺跡と言えます。