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ぼんちくんと歴史探検「国内最古級の水田跡」

記事ID:0001708 更新日:2020年5月1日更新

広報都城で連載中の「ぼんちくんと歴史探検」(平成29年5月号)。ホームページでは少し詳しく解説します。

今回は南横市町で見つかったとても古い時代の「水田」の話です。

どこにあるのかな

都城盆地の西側、桜並木のきれいな母智丘神社の下を流れる横市川のほとりにあります。

絵本

なぜ、見つかったのかな

平成12年度に行なった発掘調査で見つかりました。横市川流域で計画された水田の整備によって遺跡が壊れてしまうため、工事の前に行なった発掘調査です。

空撮

いつの頃の水田なのかな

一番古い水田が縄文時代晩期末と考えられています。その上に弥生時代、古墳時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代と各時代の水田が積み重なっていました。

全景

どんな形をしているのかな

長径約5メートル、短径約4メートル、いびつな楕円形をしていました。水を運ぶ水路などは見つかっていません。そのため、少し高い田んぼから低い田んぼへと水をかけ流していたのではないかと考えられています。

模型

なぜ、ここにつくられたのかな

稲作が伝わった頃は、今のように川から水を引いて水田を作ることはできず、水がたまりやすい湿地帯や湧き水を利用して水田を作っていたと考えられます。

坂元A遺跡の水田は、川が埋まってできた少しへこんだ場所にあたります。そこにたまった栄養分のある土を利用できる点、少しへこんでいるため水がたまりやすく、近くの湧き水も使うことができる点などが、ここに水田が作られた理由と考えられています。

この水田の何がすごいのかな

この水田は縄文時代から弥生時代に移り変わっていく頃に作られていた水田と考えられます。

この時代は日本列島に稲作が伝わった頃にもあたります。坂元A遺跡に作られた水田跡は、都城盆地でもっとも古い水田跡であるとともに、九州北部に伝わった水田が、大きな時間をあけずに都城まで伝わっていたことを示す貴重な遺跡と言えます。

また、坂元A遺跡ではこれよりあとの水田跡が順番につみかさなっており、それぞれの時代の水田の様子がわかる点も、坂元A遺跡のすごいところと言えます。

(写真上:弥生時代から古墳時代の水田/写真下:桜島の軽石におおわれた中世の水田)

弥生・古墳

文明

坂元A遺跡で出てきたものはどこで見られるのかな?

坂元A遺跡では木で作られた農具なども見つかっています。

鍬


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