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広報誌で連載中の「ぼんちくんと歴史探検」。ホームページではちょっとくわしく解説します。
今回のテーマは「大島畠田遺跡」です。
都城盆地のほぽまんなか、都城市金田町にあります。
平安時代(今から1000年くらい前)の豪族(ごうぞく)の屋敷跡(やしきあと)です。
大きな建物(写真:上段・左)とその横に掘られた池(写真:上段・右)、門(写真:下段)や道などといった、屋敷の全体像がわかる遺跡です。
わかりません。
しかし、中国から輸入された高価な陶磁器(とうじき/写真)などがたくさん出土したほか、国府(こくふ/各国におかれた役所)と同じくらいの大きな建物跡や都の屋敷をまねたような池などが見つかっていることから、大きな権力と財力をもっていた人と考えられます。
平成11年(1999年)、水田の整備事業を行なったときの発掘調査でみつかりました。
このころの地方豪族の屋敷跡で全体像がわかる遺跡は数少なく、山形県米沢市「古志田東遺跡」(ふるしだひがしいせき)とともに国指定史跡となっています。
当時は天皇を中心とした律令体制(りつりょうたいせい)がくずれ、地方の豪族と都の貴族が権力と財力をたくわえて政治の中心となっていく時期です。
大島畠田遺跡はこのような時代にあって、都城盆地を中心にかつやくした地方豪族の屋敷と考えられます。
地方豪族の屋敷はどんな屋敷だったのか?
どんな暮らしをしていたのか?
都とどのようなつながりがあったのか? などなど・・・
大島畠田遺跡は、今までよくわからなかった地方豪族のようすが手に取るようにわかる遺跡であり、日本の歴史を調べる上で欠かす事のできない遺跡である所がすごい点といえます。
都城歴史資料館で見ることができます。