野々美谷町
戦国時代の都於郡城主伊東尹祐(いとうただすけ)の供養塔です。
高さ約150センチメートル、幅30センチメートルの板碑で、正面に法名「喝 奉為大用全公大禅定門敬立」、右側面に「藤原式部大輔」、左側面に「荒武左京亮」、背面に「千時大永四天甲申仲秋八日」とあります。
伊東尹祐は三俣院(高城・山之口・三股〈市内東北部〉)まで支配を広げていましたが、大永3年(1523)、北郷忠相の野々美谷城を攻めている最中、ここで死去したと伝えられています。
この史跡は、私有地内にあるため、現地で見学することはできません。