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海運業で財を成した後藤五市の三男にあたり、干拓事業や養蚕業の振興に努めた後藤伊助とその息子後藤五兵衛が建てた家です。明治33年頃の建築と伝えられています。
最初は生糸の集荷とその関連商品の販売が中心となっていたと考えられ、後には油や醤油などの生活用品なども販売されていました。そのため、近年まで「醤油屋(しょいや)」と呼ばれていました。
木造2階建て、外壁は漆喰(しっくい)で固められ、ひさしが複雑に幾層にも重なります。内部には通り土間、周り土間が設けられ、直接2階へ物が上げられるように土間から上る階段が造られています。また、道路に面した店の正面は全面に開放される上げ戸になっています。
間取りや構造など、明治時代の商家造りをそのまま残した貴重な建物といわれています。
現在は、NPO高城歴史文化のまちづくりフォーラムの管理のもと、旧後藤家商家交流資料館として、地域の歴史の展示やさまざまなイベントの会場として活用されています。