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元禄12年(1699)、都城領主島津久龍が始めた給地米制度によって整備された「新蔵」(米蔵)跡にある長屋門です。現在は攝護寺の通用門となっています。
中二階建の木造土蔵造りで、正面入口両脇に侍詰所を配するほか、中二階に設けられた侍溜(さむらいだまり)、正面・脇面の人見窓など、江戸期の状況をよく残しています。
近年の調査で移築された痕跡が発見されました。
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