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竹編みの「バラ」を叩きながら踊る民俗芸能です。「バラ踊り」とも呼ばれます。
バラを抱えた14人が輪となり、互いに逆まわりにまわりつつ、鉦(かね)やバラを打ち、走り、転がりながら野生的かつユーモラスに踊ります。
現在は白い神代風の衣装(いしょう)をつけていますが、以前は、バラを打つ人はふだんの着物や農作業着、鉦を打つ人は陣笠に羽織袴を着ていました。また、手足に棕櫚(しゅろ)の皮をまき、バラを打つ人は背中に太い七五三縄(しめなわ)を背負い、面をつけます。
明治から大正時代のものと考えられている記録には、踊りの起源として、ヤマトタケルミコトのクマソ征伐(せいばつ)の神話が上げられています。
また、昔は「雨乞い」としてよく踊られていたとも伝えられています。
高い岡をら(居ルノ意)熊襲じゃないか 鬼か鬼人かばけものか
熊襲梟師が新室宴 宴半の小夜嵐
御子の佩しの太刀風冴えて 山の草木も皆靡く
日本武と御名奉る さすが熊襲の断末魔
御子の命の勝鬨上げりゃ 聲を合わせる瀧の音
瀧の音かやとんどと響く あれは庄内ばら踊
※歌詞は新しいものだが、歌調は、昔この地方で歌われていた「二才唄(にせうた)」とされる。
昔々大昔、日本武尊が
かんなん苦労あらせられ
国にじゃまする熊襲を
おたいじなされしお祝いに
はじめなされしこのおどり
おどりなされし年限は
紀元二千有余年
人は変われど名は残る
実に思えば勇ましや
(「都城の民俗芸能」1981都城市教育委員会より)