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南北朝時代、南朝方の肝付兼重(きもつきかねしげ)によってつくられた「三俣院兼重本城」が始まりといわれています。「三俣院兼重本城」の場所には諸説あり、高城町石山の「三俣城」を肝付兼重の城とする説もあります。
現在の城の形は戦国時代に完成されたものとされ、シラス台地の端の部分に造り出された池の城・内の城・真城・本城・中の城・樽原・取添の7つの曲輪(くるわ)からなります。
都城盆地北部の拠点城郭として、北郷氏や伊東氏、伊集院氏などの諸氏が支配し、いくつもの戦いの舞台となりました。
昭和14年(1939)、中川一政、尾崎士郎らと共に宮崎県に招待された井伏鱒二は、ここ月山日和城を案内され「月山日和城」という作品を残しました。
現在は「池の城」の空堀部分に高城郷土資料館が建てられています。