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薩摩迫館址(さつまざこかんし)

記事ID:0002722 更新日:2020年5月1日更新

山田町古江

島津本家4代忠宗の6男島津資忠(すけただ)は、筑前国金隈(かなくま)の合戦の功績により、文和(ぶんな・ぶんわ)元年(1352)、足利尊氏から島津荘北郷(ほんごう)300町を与えられました。そして、その年の12月、ここ薩摩迫に館をつくり北郷(ほんごう)を名乗ったと伝えられています。これが北郷氏(都城島津氏)の始まりです。

館址には上段に領主と重臣の屋敷があり、下段に一般の家臣が住んでいたといわれています。確認調査では柱や堀の跡、当時の生活道具であった素焼きの皿や大陸から輸入された陶磁器(写真・右・青磁)などが出土しています。
薩摩迫館址 薩摩迫館址出土青磁


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