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三島通庸は鹿児島の人で、明治2年(1869)9月、地頭として都城へ赴任しました。
赴任当時は領内の反発が強かったため、都城領を上荘内郷(現庄内、西岳、山田)・下荘内郷(現都城市街地)・梶山(現三股町)に三分割し、下荘内郷の地頭は辞任した上で、上荘内郷と梶山郷の地頭となりました。
教育の振興や神社の復興、さらに住宅地の造成や道路建設を推進し、庄内町と三股町の発展の基礎をつくりました。
この顕彰碑は、明治42年(1909)、当時の庄内村によって建てられました。三島通庸と同郷だった元首相松方正義が篆額(てんがく)しています。