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北郷資忠(ほんごうすけただ)の菩提寺です。
最初は山田町薩摩迫にあり、その後庄内町に移されたと伝えられています。明治初年に廃寺となり、豊幡神社となりました。現在、資忠とその妻の墓が残されています。
北郷資忠は島津忠宗(島津宗家)の六男で、観応2年(1351)、足利尊氏より庄内北郷を与えられました。文和(ぶんな・ぶんわ)元年(1352)、山田町薩摩迫に屋敷を構え、郷名を取って「北郷(ほんごう)」と名乗り、北郷家(のちの都城島津家)の初代となりました。
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