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山田総合支所の北側にある丘は山田城本丸の一部で、忠霊塔(ちゅうれいとう)が建っています。
山田城は延文4年(1359 =正平14年)、足利尊氏から島津荘北郷(しまづのしょうほんごう)300町を与えられた肥後国(ひごのくに・熊本県)球磨(くま)の相良定頼(さがらさだより)が築いたとされ、のちに真幸院(まさきいん)の北原氏が入ったと伝えられています。
『庄内地理志』によると、「本丸」・「勢城」・「西栫」・「取添」と呼ばれる曲輪(くるわ)があったとされています。
山田城は、盆地西北部の拠点城郭(きょてんじょうかく)として多くの戦乱の舞台となりましたが、元和元年(1615)に廃城(はいじょう)となりました。