ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 分類でさがす > 文化・スポーツ > 都城の文化財(地区別) > 中郷地区 > 都城の文化財 > 正応寺跡の石塔群(しょうおうじあとのせきとうぐん)

本文

正応寺跡の石塔群(しょうおうじあとのせきとうぐん)

記事ID:3326 更新日:2023年11月29日更新

現在、工事中のため見学できません

見学不可期間:しばらくの間

市指定有形文化財

安久町

仁安(にんなん・にんあん)元年(1166)、天台宗園城寺より下った禅慶和尚(ぜんけいおしょう)と弁済使永井氏の開山と伝えられます。

始めは天台宗の寺院でしたが、後に真言宗へと改められました。また、当初は島津荘の領主近衛家ゆかりの寺として栄えましたが、戦国期には衰え、慶長13年(1608)に都城領主北郷忠能と宥政上人(ゆうせいしょうにん)により再興されました。

幕末から明治初期にかけての廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により廃寺となりましたが、現在でも宥政上人の墓と伝えられる五輪塔(写真・中)や石仏・石塔類が残されています。

正応寺01

正応寺03

正応寺02


都城市公式LINEお友だち勧誘バナー<外部リンク>

みなさんの声を聞かせてください

このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?