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西生寺跡の石造物群(さいしょうじあとのせきぞうぶつぐん)

記事ID:3342 更新日:2020年5月1日更新

梅北町

平重盛が東佐野(高原町狭野)に建立した日吉山王社を鎮守とする大寺が、始まりといわれています。その後、仁安(にんなん・にんあん)2年(1167)、尋誉上人(じんよしょうにん)の代に夢のお告げにより、梅北へ移ったと伝えられています。

本尊の阿弥陀如来像は信州善光寺にあったものと言われ、文化15年(1818)、鹿児島藩主島津斉興の命により鹿児島へと移されました。

幕末から明治初期にかけての廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により廃寺となりましたが、寺跡には永禄・元亀・天正などの年号の残る中世の石仏や石塔類が残されています。

 

西生寺跡の石仏01 西生寺跡の石仏02 西生寺跡の五輪塔


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