本文
西南戦争のとき、都城郷より西郷軍として従軍した戦死者134人の慰霊碑です。
明治13年(1880)、生存者と遺族により建てられました(写真・左)。碑面の筆は西郷の師とも言われた川口雪逢(かわぐちせっぽう)です。都城郷からの従軍者は、明治10年(1877)3月8日に出発した都城一番隊255人をはじめ、氏名の記録が残る者だけで1,556人に達しています。
隣接して西南戦争を悼む勝海舟の詩碑(写真・右)もあります。こちらは東京在住の生存者により、明治14年(1881)に建てられたものです。
惨憺丁丑秋 (さんたんたり ていちゅうのあき)
回思一酸辛 (おもいを めぐらせば ひとさんしん)
屍化故山土 (しかばねは こざんの つちとかし)
凜乎在精神 (りんことして せいしんあり)
また、都城の各郷にも同様の招魂碑が建てられています。