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最初は天台宗「石山寺」と号していましたが、応永年間(1394-1427)に実庵和尚(じつあんおしょう)によって「福聚寺(ふくしゅうじ)」と改称、安永4年(1775)に再び「石山寺」へと戻りました。慶応3年(1867)に廃寺となりましたが、明治13年(1880)という早い段階で再興されました。
天正期(1573~1591)につくられた木造実庵禅師座像(写真・左)や地蔵菩薩像、江戸時代につくられた経典供養塔(写真・中)や庚申塔(こうしんとう)(写真・右)など、幕末から明治初期にかけての廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で多くの寺院が壊された鹿児島藩領にあって、中世から江戸時代までの寺院の姿を伝える貴重な資料群が残されています。