本文
江戸時代の終わり頃(文久3年・1862)に作成され、土肥真重(実重)につながる石山村堂領門(どうりょうかど)や走湯神社の由来などがわかる「堂領文書写し」(写真・左)。天明8年(1788)に石山片前の二才(青年)によって奉納された庚申塔(こうしんとう)(写真・右)、万延元年(1860)に神社が再興された際の奉納と考えられる木製神像、頭部を破壊された石造随身像(写真・中)など、江戸時代の中頃から明治の初めにかけての、民間信仰や廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の様相を示す貴重な歴史資料となっています。