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大五郎用水と大五郎新田(だいごろうようすいとだいごろうしんでん)

記事ID:0003466 更新日:2020年5月1日更新

山田町大古川・丸谷町大五郎

享保年間(1716~1736)、中霧島で開田を行っていた都城の斉藤助兵衛(さいとうすけべえ)は、財部のあべ松権六(ごんろく)と都城の藤崎伊兵衛(ふじさきいへえ)らと大古川から水を引き、志和池の大五郎を開田することを計画しました。

難工事の末、享保13年(1728)に8キロメートルの水路が完成し、70ヘクタールの水田(大五郎新田)が開かれました。

苦労してつくった水路に水を引いたが、軟弱な地盤のため水が浸透して困っていたところ、国分(鹿児島県)の塩売りが竹笹を敷くことを教えて解決したと伝えられています。


大五郎用水 大五郎新田


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