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池田貞記(1733~1802)は都城島津家の医師で都城茶の振興につとめた人物です。
宝暦のはじめ、宇治にて茶の栽培法や製茶法を学び、さらに創意を加えて甘露・紅梅・白梅などの都城銘茶をつくりだしました。宝暦7年(1757)には、桃園天皇に献上して賞詞(しょうし)などをうけ、茶碗・土師器(かわらけ:写真・右)を下賜されました。
享和2年(1802)4月7日、69歳で没し都城の量海院(りょうかいいん)墓地に葬られましたが、墓地整理に際し現在地(梅北町)に移されました(写真・左)。
都城茶に関しては、天保9年(1838)、幕府巡見使一行が都城通過のとき「江戸で都城茶というのが名物であるが知っているか・・・茶の値段は如何(いか)ほどか・・・」と質問したとのエピソードが残されています。