ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 分類でさがす > 文化・スポーツ > 都城の文化財(地区別) > 高城地区 > 都城の文化財 > 中原中常坊墓(なかはらちゅうじょうぼうのはか)

本文

中原中常坊墓(なかはらちゅうじょうぼうのはか)

記事ID:3640 更新日:2023年8月4日更新

中原中常坊墓(なかはらちゅうじょうぼうのはか)

市指定有形文化財

高城町穂満坊

中原中常(将)坊は庄内の乱で戦死した島津方の武将です。

庄内の乱は、慶長4~5年(1599~1600)、都城を舞台にした島津氏と家臣の伊集院氏の争いです。「庄内軍記」によると、慶長4年10月16日、高城大楽(だいらく)の戦いで伊集院氏が島津氏を破りました。島津方は約300名の死者を出し、中原中常坊もその戦いで戦死したと伝えられます。

墓石は高さ約87センチメートルの自然石で「(種字)権律師慶秀法印中常坊 慶長四年十一月十六日」と刻まれています。

 

中原中常坊

中原中常坊墓(右側の墓石)


都城市公式LINEお友だち勧誘バナー<外部リンク>

みなさんの声を聞かせてください

このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?