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天長寺は、天文7年(1538)、都城領主北郷忠相の創建と伝えられています。文禄4年(1595)、北郷氏の祁答院(けどういん)への転封にともない、天長寺も宮之城に移りましたが、慶長5年(1600)の北郷氏の都城帰還と一緒に現在の場所へと帰ってきました。
幕末から明治初頭にかけての廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で多くの仏像などが失われた都城にあって、完全な姿で残った貴重な仏像群とされます。
舟形。総高167センチメートル。蓮華座に座し、弥陀定印を結んでいます。銘はなく、作者及び製作年代は不明です。
駒形。総高140センチメートル。上段に不動明王座像、下段に脇侍二童子を浮き彫りにしています。銘文より、天長寺の住職「舜杲(しゅんこう)」が永禄7年(1564)に奉納したことがわかります。