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龍峯寺跡(りゅうほうじあと)に残された都城島津氏の墓所です。都城にある最も大きな都城島津氏関連の墓所であり、多くの領主の墓が残されています。
龍峯寺は北郷忠相(ほんごうただすけ)が母親のために創建したとされます。忠相以降の北郷氏の菩提寺となり、当地方最大の禅寺として栄えましたが、慶応3年(1867)に廃寺となりました。
安政5年(1858)11月、都城領主島津久静(しまづひさなが)が建てた石塔です。
都城島津氏の初代資忠(すけただ)より12代忠能(ただよし)にいたる間の戦死、殉死者505人の名が刻まれています。