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東霧島神社脇の林の中にあり、宝塔や五輪塔など数十基の石造物が残されています。その形態から中世期のものが多いと考えられています。(写真・左)
江戸時代の地誌「御道中記」には「寛陽院様 御寄進の由に候処、大破に依り嘉永二年酉年(1849)新に御作り替え」とあり、江戸時代につくられた神輿と考えられています。(写真・中)
島津忠昌の朱印状です。島津忠昌は、文明6年(1474)、父島津立久の死去により守護家の家督を継承しました。しかし、あいつぐ一族の反乱や伊東氏や北郷氏などとの戦いの中、永正(えいしょう)5年(1508)2月15日、肝付兼久の反乱の対応に苦慮して自刃しました。(写真・右)