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梅北川と野間川の合流点を望む台地の端の部分につくられています。
飛永城・上村城・中之城・新城の4つの曲輪(くるわ)で構成されていたと伝えられています。破壊が進み、飛永城などなくなってしまった曲輪もありますが、新城、中之城では現在でも土塁や堀の跡をみることができます。
大隅半島からの入口に位置し、盆地南部の拠点城郭として、盆地をめぐる争いの要衝となっていましたが、元和(げんな)元年(1615)、廃城となりました。
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