本文
穂満坊の御道中記稿本(ほまんぼうのごどうちゅうきこうほん)
嘉永6年(1853)、鹿児島藩主島津斉彬(なりあきら)の領内巡検の際、高城郷から提出された郷内案内の草稿をとじたものです。二つ折りにした梶番紙71枚からなり、加筆や削除の朱書きもそのまま残されています。
筆者は園田実徳(そのださねのり)。高城郷年寄役是枝主胤(これえだとのも)が序文、巡検に随行した儒学者近藤恒雄が跋文(ばつぶん)を書いています。
高城郷の地勢や人口、生産高、古跡や社寺の由緒などが記され、江戸時代の高城の状況を知る重要な歴史資料となっています。