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盆地南縁山地の尾根上につくられています。南側の谷筋には「正応寺」があり、北には萩原川・安久川の合流点と、その先に広がる都城盆地を見ることができます。
天文2年(1533)、北郷忠相が伊東領であった三俣院を攻撃した際、臨時的につくられた城と考えられています。
尾根上の最高点に造られた主郭(しゅかく)を中心に、北・西の2方向へと曲輪(くるわ)が展開し、各所に土塁・掘切(各曲輪(くるわ)をへだてる空堀)などが残っています。南九州には数少ない本格的な山城として、高く評価されています。
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