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広報都城で連載中の「ぼんちくんと歴史探検」。ホームページではすこしくわしく解説します。
今回のテーマは、縄文時代のお墓です。
縄文時代の終わりごろ、今から3,000年位前につくられたお墓と考えられています。
都城市の南部、今町で見つかりました。保育園をたてる時の発掘調査で発見されました。
長さ120センチメートル、幅90センチメートル、深さ80センチメートル程のやや大きくて円い穴です。底は平らで、人一人がしゃがんで入れるくらいの大きさでした。骨は残っていなかったのですが、たくさんの土器のかけらや石器が出てきました。
3000年位前、都城盆地に住んでいた縄文人のお墓と考えられます。とても古い時代なので、その人の名前やどんな人だったのかはわかっていません。
穴の中の土を蛍光X線分析(けいこうXせんぶんせき)という方法で調べたところ、リン・カルシウムの値(あたい)が高いことがわかりました。リン・カルシウムは、動物や人間の埋めた所で多く検出(けんしゅつ)されるといわれています。また、穴の中に入っていた土のようすからは、自然に埋まったのではなく、人の手で埋められたと考えられました。これらの事と土器のかけらや石器がたくさん入れられていた事からお墓の可能性が高いと考えられました。
都城では縄文時代の遺跡はたくさん見つかっていますが、縄文時代という古い時代のお墓は、肱穴遺跡(ひじあな)や平田遺跡(写真上段・左)、虎喰遺跡(とらくえ)、上原第3遺跡(写真上段・右)などの数か所でしか見つかっていません。
そのため、今回見つかったお墓は、都城の縄文時代を調べる上で、とても貴重な発見といえます。
また、このお墓がつくられた時代は「もうそろそろ稲作が始まるかな?」といった時代です。このお墓からは土器(写真下段・左)といっしょに、植物の穂(ほ)を刈るために使ったと考えられている石器(写真下段・右)が見つかっています。そして、土器についた炭化物の分析からは約3000年前の値が出ました。
縄文時代終りごろ、「都城盆地ではどのように植物が利用されていたのか?」 そして、「どのようにして稲作をむかえ入れていったのか?」 また、「それはいつなのか?」など、縄文時代から弥生時代への移り変わりを考える上で、重要な資料になると考えられます。
平成28年3月に「上針谷遺跡・下針谷遺跡」の調査報告書を刊行しました。都城市立図書館(サイト内のページへリンク)<外部リンク>などで見ることができます。