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地面に穴を掘り、その穴の壁から横方向に穴を掘って造られたお墓です。
古墳時代の中頃から後半(5世紀~6世紀)、南九州の内陸部から宮崎平野部・大隅半島にかけて、数多く造られました。
最初に掘った穴は竪坑(たてこう)とよばれます。横に掘られた穴は玄室(げんしつ)とよばれ、遺体が納められています。竪坑と玄室の間には羨道(せんどう)とよばれるトンネル状の通路があります。羨道と竪坑が接する部分は羨門とよばれ、土の塊や石、板などでふさがれます。
後から亡くなった人を同じ墓に埋葬する「追葬(ついそう)」が見られることもあります。
地下に造られているため、盗掘を受ける事がほとんどなく、多くは副葬品などが当時のまま残されています。また、密封された空間のため、人骨など有機物の残存状態も良好です。
地下式横穴墓の多くは、耕作中にトラクターなどが玄室天井を踏み抜き、土地が陥没することで発見されます(写真参照)。
土地が陥没した時は、地下式横穴墓の可能性があるため、都城市教育委員会文化財課(電話0986-23-9547)まで連絡をお願いします。