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都城跡(みやこのじょうあと)

記事ID:4045 更新日:2023年7月4日更新

市指定史跡

都島町 

永和元年(1375)、北郷義久の築城と伝えられています。北郷氏はこの「都城」を拠点に都城盆地を統一、さらなる勢力拡大を狙いました。元和(げんな)元年(1615)、一国一城令により廃城となりました。

シラス台地の端部を分割し、各曲輪を形成させる「群郭式城郭」とされ、総面積は約25ヘクタール。大淀川を背後にした本丸を中心に、扇を開くように11の曲輪(くるわ)が西へと展開しています。

現在は、本丸を含む六つの曲輪が残り、本丸跡には都城歴史資料館が建設されています。

都城跡 航空写真

都城跡 資料館

平成27年度~平成30年度の確認調査

市教育委員会文化財課では、平成27年度から平成30年度にかけて、国・県の補助を受けて、都城跡にお城に関する遺跡がどのくらい残っているかを確認する調査を行いました。

その結果、建物の柱の跡やお城の古絵図とほぼ同じ形の通路、シラスの崩落によって何度も埋まりながらも、そのたびに造り直されてきた空堀、大陸から輸入された高級陶磁器など、お城を形造る遺跡が非常に良好な状態で残っていることがわかりました。

虎口とトレンチ

虎口(出入り口)に設定したトレンチ。古絵図と同じ堀と通路が見つかった

青磁

溝の中からみつかった青磁

埋まった空堀

シラスを掘り込んだ深い空堀とその中に堆積する流れ込んだシラス

埋まった空堀2

シラスを掘り込んだ堀を埋めた大きな土のブロックが混じる黒色土


旧石器から古墳時代まで
飛鳥から平安時代まで

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