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ぼんちくんと歴史探検「菓子野地下式横穴墓群2011-2号」

記事ID:0001705 更新日:2020年5月1日更新

広報都城で連載中の「ぼんちくんと歴史探検」。ホームページでは少し詳しく紹介します。今回は菓子野町でみつかった地下式横穴墓のお話です。 

どこにあるのかな?

都城市の西北部、菓子野小学校南側の畑の中にあります。庄内川を南に見下ろす台地上にはたくさんの地下式横穴墓がつくられており、現在までに15基以上が発見されています。

いつ発見されたのかな?

2011年(平成23年)11月26日に発見され、12月1日から14日にかけて調査が行われました。

どうして発見されたのかな?

畑を耕す大型トラクターが玄室の天井を壊し地面が陥没したため、発見されました。

発見の状況

地下式横穴墓って、なんだろう?

地下式横穴墓とは地上から穴(竪坑・たてこう)を掘り、その底に遺体を入れる横穴(玄室・げんしつ)をつくる形の古墳です。くわしくはコチラ(サイト内のページへリンク)

地下式横穴墓模式図

どんな地下式横穴墓だったのかな?

どのような形?

普通は一つの竪坑に一つの玄室なのですが、これには二つの玄室がありました。このような例はとても珍しく全国で二例目の調査となりました。また、二つある玄室のうちの一つ(A号)は全く壊れておらず、葬られた時そのままの姿を保っていました。

写真上段:左・調査のようす:右・上から見たようす・正面B号・右A号/下段:入口からみたA号玄室:

全景 全景

人骨2

どのくらい古い?

中に入れられていた鉄鏃(てつぞく・鉄のやじり)の形や人骨の放射性炭素年代測定から5世紀中頃から6世紀前半に営まれた古墳と考えられています。

どんな人が葬られていたのかな?

A号では奥から熟年(じゅくねん)男性・幼児(ようじ)・壮年(そうねん)男性(写真・左)、B号には熟年女性が葬られていました。また、A号熟年男性の横には鉄鏃5本が置かれ、壮年男性の右手首には滑石製臼玉(かっせきせいうすだまビーズのような石製の玉)、B号熟年女性右手に貝釧(かいくしろ・貝の腕輪)が付けられていました。鹿児島女子短期大学竹中正巳先生の分析では、少し面長な顔の形であり、同じ時代の宮崎平野部の人ほどではないが、山間部(えびの市など)に比べると、渡来人的な様相がやや強く見られるとされています。

人骨

何がすごいのかな?

玄室が二つ!!

一般的な地下式横穴墓は一つの竪坑に一つの玄室を造ります。菓子野地下式横穴墓群2011-2号は一つの竪坑に二つの玄室という非常に珍しい形をしています。鹿児島県鹿屋市立小野堀(たちおのぼり)遺跡に続く、日本で二番目の発見例となりました。

説明パネル1 (PDFファイル/335.77キロバイト)

歯からデンプン!!

鹿児島女子短期下野真理子先生の調査によって、A号熟年男性の歯石の中からデンプン粒が見つかりました。これは日本で始めての発見です。見つかったデンプン粒と今の植物のデンプン粒とを比べた結果、アズキやオオウバユリのデンプンの形に近いことがわかりました。亡くなる前に食べていたのでしょうか?

説明パネル2 (PDFファイル/296.23キロバイト)

写真:左・歯石を調べた部分:右・デンプン粒の顕微鏡写真

歯石 オオウバユリ

今はどうなっているのかな?

玄室や竪坑にシラスを入れて埋め戻しました(写真)。今は畑にもどっています。発見された人骨や鉄製品などは、都城市教育委員会の収蔵庫に保管しています。保存状態を考えながら都城歴史資料館などで展示し活用を図っています。

埋め戻し1 埋め戻し2

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