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宥政上人が正応寺の住職となり、天台宗から真言宗へと宗派を改めた際に始められたと伝えられています。
白上着に白股引をつけ、藺笠を被った鉦と鼓、刀を帯びた中入組、矢旗を背負う太鼓組からなり、鉦・鼓・中入組が内輪、太鼓組が外輪となり踊り歩きます。
扮装、踊りの陣形や態様、奏楽の様子など、念仏踊の色彩が強いといわれています。
諸県地方では、天正の頃(1573~1591)も大太鼓踊りが盛んであったようです。
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