本文
高城(月山日和城)の西側にあり、町中を南北に抜ける道です。東竜寺の末寺・不動寺があったためこのように呼ばれています。
天文元年(1532)11月、北郷氏・豊州島津氏・北原氏の連合軍が、伊東氏の治める三俣院(都城盆地の北東部)へと攻め込みました。ここ不動寺馬場はその時の激戦地の一つと伝えられています。
11月27日、高城を守る伊東軍は、大手口の攻防の後、不動寺馬場にて大敗し、さらに後退した社ヶ原(やしろがはら)で総崩れとなり、北の石山城へと敗走しました。
この戦いで高城は落ちませんでしたが、高城城主であった伊東祐量は「石山越え」にて討死したとされます。この日の合戦での伊東軍の死者は730人あまりと伝えられています。