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大淀川を見下ろす台地の端につくられています。
江戸時代の記録には12の曲輪(くるわ)とありますが、現在は大きく破壊され、5つの曲輪(くるわ)が残っています。
志和池城と同様、盆地北部の拠点城郭として争いが繰り広げられました、
慶長4年(1599)の庄内の乱では伊集院氏の城となっていました。
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