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広報都城で連載中の「ぼんちくんと歴史探検」。ホームページでは少しくわしく解説します。
今回のてーまは、戦争中に使われたサイレンです。
手に持って使うサイレンです。ハンドルを回すと「ウー、ウー」と大きな音がなります。
空襲(くうしゅう)のとき、人々に避難(ひなん)や防火(ぼうか)の準備(じゅんび)を知らせるために使われました。(写真・消火活動をする人々)
今から75年ほど前、太平洋戦争の時に使われたと考えられています。
戦争と平和に関するほかの資料といっしょに、都城歴史資料館でみることができます。
空襲とは空から地上を攻撃(こうげき)することです。飛行機から爆弾(ばくだん)を落としたり、機関銃(きかんじゅう)をうったりします。(写真:機銃弾の跡と薬きょう)
1945年3月18日の都城西飛行場への攻撃から始まり、15回以上の空襲を受けています。すべての空襲をあわせ101名の人が亡くなっています。
1945年(昭和20年)8月6日のお昼から夕方にかけての空襲です。この日の空襲は市街地西部の焼夷弾(しょういだん・火事をおこす爆弾)や機関銃による攻撃からはじまり、市街地東部や庄内町への空襲、消火をしている人々を機関銃でねらいうちにするなど、4時間にわたり攻撃がくりかえされました。
また、この日は広島に原子爆弾(げんしばくだん)がおとされた日です。(写真:都城空襲慰霊碑)
当時、日本はアメリカなどと戦争をしていました。アメリカは、最初、軍隊の基地や飛行場、工場などを空襲の目標としていましたが、1945年3月からは人がたくさんすむ「まち」も空襲するようになりました。
都城は人口13万人(1940年)とやや大きな町であり、飛行場や飛行機の工場があったほか、軍隊の基地もあったため、空襲されたと考えられます。(写真:8月9日の都城・長崎大学全炳徳研究室提供)