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明治41年(1908)11月、旧陸軍歩兵第六十四連隊がおかれました(現在の陸上自衛隊都城駐屯地)。大正14年(1925)5月からは熊本から移転した第二十三連隊がおかれ、同連隊は「都城連隊」と呼ばれていました。
旧陸軍連隊本部跡(サイト内のページへリンク)は、久保原町の陸上自衛隊都城駐屯地内に自衛隊の資料館「郷土館」として保存されています。
昭和20年(1945)3月18日の西飛行場への空襲を始まりとして、断続的に空襲が続いていた都城ですが、広島に原子爆弾が投下された8月6日に大空襲を受けました。
正午過ぎから始まった空襲は、市街地の西部地域に焼夷弾を投下した第一波から、消火活動の妨害のための機銃掃射を繰り返した第四波攻撃まで続き、松元・八幡・牟田・宮丸・姫城・大王・上町・中町・前田・平江・小松原の各町が焼失、56人が犠牲になりました。
消火活動をする人々
日本軍は、敵艦に体当たりする攻撃、いわゆる「特攻」を行いました。都城の飛行場からは昭和20年4月6日から7月1日にかけ全部で10隊、79人が出撃していきました。
最初の出撃は、昭和20年(1945)4月6日14時10分、「都城西飛行場(都原町)」から沖縄周辺に向けた第一特別振武隊8人でした。4月28日の空襲により西飛行場が壊滅した後は、「東飛行場(都北町)」から飛び立っています。
また、都城には「北飛行場(野々美谷町)」もつくられましたが、特攻機の出撃はありませんでした。
※「都城の歴史と人物(増補改訂版)」都城市教育委員会2012 より
戦争に関する資料は、「都城歴史資料館」(常設展案内)(サイト内のページへリンク)にて多くの資料を展示しています。ぜひ、来館ください。