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都城盆地には多くの城跡が残されています。その多くがシラス台地の端部を利用し、いくつもの曲輪(くるわ)を並べた特徴的な形をしています。
都城盆地は古くから交通の要衝・穀倉地帯であったことから、中世の始めから政治・経済の中心となっていました。そして、武士の居館がつくられ、南北朝時代や戦国時代には戦いのための拠点として多くの城がつくられていきました。
主な城として、北郷(都城島津)氏の居城だった都城をはじめ、それを取り巻く高城・山之口城・勝岡城<外部リンク>・梶山城<外部リンク>・志和池城・山田城・野々美谷城・安永城・財部城<外部リンク>・恒吉城<外部リンク>・梅北城・末吉城<外部リンク>のいわゆる「庄内十二外城」があります。戦国時代には、これらの城を中心に町や村が形成され、人々の生活の拠点ともなっていました。
江戸時代に入り、元和(げんな)元年(1615)にすべての城が廃城となった後、これらの城の名前は近世の外城(郷)の名称となり、現在の地名に引き継がれていきました。
※「都城の歴史と人物(増補改訂版)」都城市教育委員会2012 より
※文中の城名をクリックすると各城の紹介ページがひらきます(勝岡城・梶山城は三股町ホームページ、財部城・恒吉城・末吉城は曽於市ホームページへリンク)
上段:左から都城、都城(空から)、高城/下段:左から志和池城、安永城、梅北城
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