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古墳時代の都城

記事ID:3794 更新日:2020年5月1日更新

都城の古代勢力の成長

都城盆地には宮崎県内で最も内陸部につくられた前方後円墳(志和池古墳群:しわちこふんぐん高城牧ノ原古墳群:たかじょうまきのはるこふんぐん高崎塚原古墳群:たかざきつかばるこふんぐん)が分布しています。これは前方後円墳に代表される高塚古墳(参考:都城古墳など)を象徴とする畿内文化の最終到達点が都城盆地であったことを示すと考えられています。

また、多くの古墳群では高塚古墳と共存し、南九州独特の埋葬施設である「地下式横穴墓」(原村上地下式横穴墓群菓子野地下式横穴墓群下川東牧ノ原地下式横穴墓群など)がつくられています。

地下式横穴墓には、当時、生産や流通が限られていた鉄製品が多数副葬されるほか、畿内地方で生産された須恵器も出土していて、当地方の在地勢力が畿内政権と関係を持っていたことがうかがえます。(参考:都城の古墳)


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